坂本龍馬と田中良助、そして高知酒造のゆかりについてご紹介します。

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坂本龍馬と田中良助、そして高知酒造のゆかり

  坂本龍馬と縁の深い、田中良助をご存知ですか?
※以下の記述は、高知県立坂本龍馬記念館の資料より引用しました。

■田中良助

 龍馬に弐両を用立てた田中良助についてはあまり多く紹介されていないが、龍馬は城下町の北、山の上にある柴巻(現在高知市初月[みかづき]地区)の田中家をよく訪ね、将棋を指し、碁を打ち、また家のうしろにある八畳岩の上に登ってお城を見下ろしながら、将来を語ったと言われている。
 田中良助は、龍馬より15歳年長で、明治10年(1877年)58歳で亡くなっている。田中家に伝わる文書・その他史料などから推察すると、 広い教養と豊かな感覚を持っていたと思われ、これが龍馬の感性にも大きく影響を与えていると考えられる。
 この弐両を借りる頃は勤王運動が盛んになっていく時代で、龍馬は将棋盤や碁盤の中からいわゆる「時局」に思いを馳せ「次の手」ならぬ「次の動き」を考えていたのかもしれない。八畳岩からの壮大な眺めは、考え方のスケールを広げていったと思われる。田中良助は武道をたしなみ、砲術などにも通じていたといわれる。
龍馬が戦に出るときは、共に馳せ参じると堂々と云っており、鎧兜まで用意をしていた。

■坂本龍馬の田中良助宛弐両の借用証書

坂本龍馬の田中良助宛弐両の借用証書  龍馬が剣術詮議のため讃岐丸亀(香川県丸亀市)の矢野市之進道場へ向かう途中、良助から借りた弐両の借用証書の内容の中で利子の1割5分とあるが、当時の土佐藩内では普通金利であった。
この借用証書は襖の下張りから発見されたといわれ、真為についても諸論があったが、その後記念館に展示している良助筆記の借用始末案文が残されていることが判明したので、この二つを対比すれば自ずから明らかであろう。
 実はこの旅を讃岐への剣術修業の名目で藩庁に届け出ているが、実際は土佐勤王党首領 武市瑞山の命令を受け、長州萩の久坂玄瑞(勤王運動の若きリーダー)に書状を届ける為に、長州まで足を延ばすのだから旅費を余分に用意しておく必要があったと思われる。
 その為出発に際して田中家へ立ち寄り金を借りたのだろう。龍馬は借用証書の書き方を知らなかったとみえて、良助に書き方まで教わった書いているようだ。
 龍馬と良助は極めて親しい交わりをしていたと思われるが、この時龍馬27歳、良助42歳で15年の差があった。しかしながら長州の志士たちの情熱に接した龍馬はその後脱藩した為、良助と会う機会がなく、弐両の借金も返済されなかったとみえて、借用証書はそのまま田中家に残されることになった。
※田中良助旧邸資料館についてはこちらで詳しく紹介されています。

■その田中良助と高知酒造のゆかり

 高知酒造鰹\代目社長 竹村彰夫の母(田中家=高知市柴巻)の祖父(柳馬[りゅうま])の祖々父(良助[りょうすけ])は豪農の家に生まれ、坂本家の山林を管理していた縁で龍馬とは囲碁や狩猟・飲み友達として親交が厚かった。
 当時の囲碁版は現在も田中家に保管されており、酒盛りの場所は田中家の上(かみ)にある八畳岩で、遥か太平洋を眺めながら飲んだと伝えられている。


瀧嵐純米辛口原酒“龍馬と良助” 新着720ml…1,700円

瀧嵐純米原酒“龍馬と良助” 田中良助とは、龍馬の感性に大きく影響を与えたといわれている人物です。
2人をイメージした、すっきりとした辛口の酒。 (脱藩するきっかけになったとも言われる、2両の龍馬直筆借用証書の模写入り。)
■使用米:風鳴子(高知県産米100%使用)
■精米歩合:70%
■アルコール度:19度
■日本酒度:+5
■酵母
:CEL19・KA1
■酸度:1.7
瀧嵐純米原酒“龍馬と良助”チャート

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